愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である

実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。
出典 三島由紀夫

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出典三島由紀夫は、昭和を代表する文豪として広く知られています。 しかし彼の思想右翼的あり、その彼が上の様な意見を述べているのはとても興味深いですね。 かつて私が愛国について書いたもので、彼を位置付けると次のようになります。 そもそも祖国愛とは愛国心の一つの形で、一般的に愛国の対象は祖国(祖先の国)、母国(出生国)、本国(国籍国)、居住国(現住国)に分けられ、このどれを愛しても愛国心である。そして、愛国心はナショナリズムとパトリオティズムに大別される。ナショナリズム(国粋主義、民族主義、国家主義)とは、国家形成の過程でそこに帰属する国民としての価値を尊重するものであり、その国民に帰属することが自らの最大価値とするものである。しかし、パトリオティズムは国家形成以前から存在するもので、人々は国民としての意識はないものの出身地や特定の郷土(パトリア)の一員として、地域及び地域民への愛情、愛国主義・愛郷主義・祖国愛・郷土愛を感ずる情を意味する。 三島由紀夫はナショナリズムで論じていることがお分りでしょ。中国朝鮮族を語るならば愛国はパトリオティズムなのです

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